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若い写真家の確信


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Originally uploaded by hiroomis2008
下平氏の写真展に仕事の帰りに向かう。新宿コニカの受付の3人のお姉さんはいったい何をしているのか気になるところだし、フォトプレミオの大賞展だって気になるところだったが、一目散に下平竜矢写真展「星霜連関」の解説文を探した。内野の追悼展の企画で出会って以来の短い間柄だが、トーテムポールギャラリーでの追悼展を希望したのは彼で、内野webサイトのたちあげでは実務でてんやわんやしていただいた。内野の会では一見控えめにたたずむ彼は、ちょっと前までサラリーマンをしていた僕にとっては物足りなく、自ら手を上げておきながら主張してこない身振りに少なからずいらだっていた。一人の頼りなげな青年だった。

昨日もガレリアQの牟田氏に会ったのだが、ほとんど人としゃべらない派遣生活の中では牟田さんとの会話が50%位を占めている。以前も書いたが牟田さんのDMをここしばらく作っていて下平君から「牟田さんのDMどういうことを気にして作ってるんですか?」ってほとんどしゃべりかけたりしてこなかった彼が福添氏の写真展会場の隅で突然聞いてきたことに動揺してなんと答えたのかはっきりしていない。フォントをたくさん使わない、見たいな事を答えた気もする。1999年にこの同じコニカでみた牟田さんの「帰去来」の穴のたくさんあいたクリーム色の壁に飾られたモノクロームを目の前にしたとき感じた何らかの動揺が「星霜…」にはあった。

昨日見た写真のことだけでよかった、のかもしれない。写真を見つめていると若い彼の姿が浮かんだ。知らなかったのならどう見えたのか、もうわからない。写真の深い黒の中には自分のむくんだ姿が時折浮かぶ。様ような祭事のコスプレに身を包んだ人達に対峙する青年は衣装の手元からはみだした腕時計や不釣合いでまじめなめがねのフレームに重い核心でファインダーを覗き込んでいる。ひょうきんなお面に顔を隠した神々のポートレートは見終わった後では一人の人間の表情として僕の頭の中にはインプットされている。関東近郊で執り行われたとされる祭事は僕の住む町の中での出来事でもあるにもかかわらず遠い。けれど、入れないという写真が抱え込んでいた疎外感ではなく、一人の若者が、この国に含まれているというふうに実感していることと、つながっているということに核心を抱いているかのような感覚が、変に僕の胸底に響いてくる。祭りや歓喜を取材する行為は特別ではなく、ありふれている。写真家はその特別な場から破綻や民俗めいた表層を掬い取り、構成し情念を喚起する。アーバス、フランク、須田一政。スナップ写真の意味が社会に伝わらなくなってしまった今、撮影者は常に世間から監視され、存在を許されていない。デジタルな小さなカメラたちはガタイにそぐわない高倍率のバズーカを備え、ほとんどの人がその効力を理解している。そうでないということを主張するために正方形のフォーマットは有効だ。そして、若者は再度、かつて幼いころに属していたホームらしき社会へ去来する。また、居場所を見出せなくなる。僕のことか。

そうではない、核心めいた作為が下平の写真にはみなぎっていて、打たれた。

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