20080624

カメラ雑誌の現在


kumorizora
Originally uploaded by hiroomis2008
日本カメラ2008年7月号に内野雅文の京都の写真がやっと掲載された。生前本人が持ち込んだものである。たった8点の写真であるが、内野のまだ未完であったそのシリーズをそうっと手を差し伸べて新たなる意味へ導いてくれるような、意思のこもった強いセレクトだと感じた。本誌には内野について石井仁志氏も寄稿されているのだが、「型にはまった特別な京都を見出すことはなかった」とあるが内野自身はまだその特別な京都を脱しできていなかったし、それゆえもがくそぶりも選びきられていない六つ切りバライタの写真群からは強くは感じられなかった。内野の見た京都から処世の不変を救い上げる作業を成し遂げるまでが写真家内野雅文本人のやり遂げねばならなかったことだったのだが、あのような終わりを遂げたことはご承知のとおりである。遺作となった京都の残された写真の中には信じがたいくらいの達観したやさしさとともに拭いきれない京都の京都たる表層で覆い尽くされていて、正直不満で生きていたのならばまた、小一時間文句をたれていたのかもしれない。そこを埋める作業をするには4月の追悼展では間に合わず、5月の176では展示途中で日本カメラから戻ってきたプリントをあわせて再度構成しなおしてまでいただいた友長氏も、同じ痒さを共有していたのだと思う。日本カメラ編集長の前田さんとは、どんなお方なのだろうか。この8ページはひとつの模範解答である。天国から見えるだろうか。こうやって写真は選ぶのだよ。実家でお小遣いをもらって機嫌の良いカミさんの緩んだ財布で娘のペネロペと一緒に久しぶりにカメラ雑誌を購入した。

0 コメント: