20080830

サマーズとスナップ写真


20080829-_DSC8799
Originally uploaded by hiroomis2008
エクセルにはまっている。仕事でそんなに必要もないのに表ばかり作っている。たとえば今週は表の中にある言葉を検索し、文字の色を変えることに一日と半分を費やした。些細なことだ。それがなかなかできない。エクセル風に言うならばブック中のセル内にある特定の文字列を一括して書式を変える、なんて言葉で言わなければならない。セルとは表の、あるひとマスのことをさす。エクセルに標準でついている検索機能ではセルごと書式が変ってしまい、セル内にあるその言葉だけの色を変えることができない。それをVBAと呼ばれるプログラムで考える。僕にはできない。ネットの中には色々親切な人がいて、いろんな便利ツールを作ってくれているのだが、こんな道具を探すことだけに一日かかってしまうのだ。仕組みは表の隅からその言葉を探していき、見つかったところで、その言葉があるセルの中で何文字目にあるのか答えさせ、そのセルの何文字目から何文字目までの文字の色を赤で塗りなさいと命令し、そして対象となる文字がなくなるまでさっきの場所の次の文字から検索を繰り返しなさい、といったものだ。プログラムにはそう書いてあるらしい。もし探している言葉がなかったら…とか、些細なことを想定しておかないとパソコンは止まってしまうらしく、その暗号文の分量たるやたいしたものだ。僕はその呪文をチョイとコピペして自分のエクセルのボタンに貼りこんでやるに過ぎない。それでも目的(なんて明確な!!)を達成して時間が過ぎるのをすっかり忘れている。
サマーズが気になっている。夜に頭だけ疲れて寝付けない体を横にしてだらだらテレビを見ていると、サマーズは現れる。いつも一緒にいるだろうし、何の発見もないであろう相方と30分もずっとテレビの中で話している。些細なことばかりだ。その些細な発見を堂々と吹聴する相方の様をもう一人は喜んでいる。二人の良い関係に、饒舌さに、油ののりを感じる。さっきも都立大学駅周辺をつまらなそうにぶらぶら歩いている二人がテレビに映っていた。時代においてかれたモヤモヤした街をおちょくっりながら二人とテレビ東京のアド街のきれいなおねえさんが散歩しながら時間をつぶすといった番組。毎週見てしまっている。カメラをぶら下げて街をスナップする感覚って…、いつもながらサマーズに考えさせられる。二人にも些細な悪意と愛情がある。最近のダウンタウンのいただけなさはよく耳にするが、靴下に刺繍されたお馬に乗った騎手が動き出し、些細な妄想が終着点を探しながら膨らんでいくかつての二人の会話はもう見られないことを思いつつ、サマーズの二人を見ている。
「三浦和人&関口正夫 スナップショットの時間」展が三鷹市美術ギャラリーでもうすぐ始まる。三浦さんは僕が始めて受けた写真の授業の先生で、そこから写真との付き合いがはじまり、抜け出せないで今までいる。お二人は僕が生まれる前からずっとスナップ写真を撮り続けている。どういうことなのだろう。決して明確ではない、時代に煽られてぶれてしまいそうな目線を持ち続けうる、というのは覚悟なのだろうか。至福なのだろうか。送っていただいたチラシの裏に誰が書いたのか、当たり前でつい忘れてしまいそうな真実がとてもとても丁寧に書かれていた。
「(前略)何が写っているのかはもちろん大切です。しかし、何が写っているのかと何を撮っているのかを簡単に等号で結びつけることはできません。何が写っているのかを通して、その向こう側に何を撮っているのかを、私たちは私たちの経験に即して見ることがきっとできます。すでに撮られた写真は、たとえ自身の撮影したものであっても他者の姿をしています。何十分の一秒、何百分の一秒という時間が作者によってどのように生きられたのか、それを私たち自身の時間として今一度捉え返し、生き直すと言い換えてもよいでしょう。それは決して追体験などではありません。すでに見るものひとりひとりの創造の内にあることです。根源的な出会いの場を求めての想像の時間なのです。」

20080823

足らない写真


20080822-_DSC8669
Originally uploaded by hiroomis2008
生活がまた始まり職場のパソコンとの睨み合いが続く。実家からタバコをカートンでいただいてきたにもかかわらず、ポケットに入れ忘れる。駅の売店でライターと一緒にキャスターマイルドを買ったのだが雑誌の山に置き忘れる。翌日朝少し早めに家を出て恐る恐るおばちゃんに「昨日…」と言いかけたとたん棚から紙に包んだタバコとライターをニコニコで渡される。自前の弁当はいつものように箸が入っておらず食堂で悪びれながらカウンターのおばちゃんと目をあわさないように箸をゲット。食事に誘われない限り昼休みに本を読むことにしているのだが、思ったより漢字の多い文章に集中力を切らしているとさっきの弁当が股にぎっしりこびりついている。100粒は超えていた。
先週末に富士山に登ったこと書き留めておかなくてはならない。けれど言葉がなかなか出てこない。7歳のチビ助と二人、メタボと意気地なしのコンビにはえらくこたえた。2年越しのリベンジ。5歳の彼は8合目の宿で晩飯でたいらげたカレーを僕の胸のなかですべてリバースし、不安定な呼吸のまま夜明けを迎えた。今回、それでも下りなければいけない怖さを強くインプットしている体は互いに臆病で、弱った子供にさへツレない宿への怒りや久しぶりにこんなに長い時間手を繋いだ感覚やらで、整理がついていない。頂上まで行ったことは確か。晩飯のカレーを残して僕にくれた。
山頂で小岩井大輔写真展「Mt.FUJI3776」を見た。8年かけて撮りためた富士の写真の展示の前に山小屋で働く本人がいて、チビをだしに使い話しかけるタイミングを待った。多く語らない本人とは違う饒舌な写真だった。
山に行くときはブローニーのネガカラーに6月の編笠山から決めていた。それでもやっぱり、ここでも何にカメラを向けたらいいか解らないままチビの貌ばかりを見てシャッターを押していた。
ギャラリー・ガレリアQの牟田義人さんに写真展のDMをハイペースで頼まれ、このひと月は人の写真に囲まれて息をしている。Qのメンバーの星玄人氏のDMをはじめて作ることになった。前回の展示でも当初DMを依頼されていた。だけどどこか怖かった。その時引き受けたものの僕の引け目を野生で感じ取った星さんから時間都合での断りの電話がやんわり入って安堵した。強い被写体に向っていく写真家だ。写真集でしか写真を知らなかったが、新宿に行くたびに出会ってはいた。話していても宇宙から来た写真家のように感じていた。彼の写真の中には弱者(強者?)として社会から振り分けられたアウトサイダーが多く登場する。魅力を感じてしまった被写体である街の夜に飛び込んでいく。今回、DMに載せる写真の候補をスキャン・レタッチして感じるのは、僕の妄想の中の彼の写真よりはるかに被写体との距離が遠いということだ。ラフプリントのキャビネサイズで人物が小さいということだけでは無論ない。彼との打ち合わせの中でも感じた写真家の変化していくさまを、DMでは伝えられればいいと考える。タイトルの変更を提案し、僕が強くて不安定なこの写真達に感じた言葉をDMにのっけて校正を送った。足らない写真を補いに、すでに現場に向ってしまった星氏からの回答が明日、携帯に来ることになっている。少なからずの緊張がある。

20080809

『これでいいのだ』と。


20080806-_DSC8466
Originally uploaded by hiroomis2008
ぼくんとこの図書館は携帯から蔵書検索と予約ができる。区内の図書館の蔵書なら普通に翌日最寄の図書館に本が届いたことを知らせるメールが携帯に送られてくる。今年の4月から始まったこのサービス。気になる本があればその場で予約を入れる。返却催促の連絡も携帯にくるようになった。めったにかかってこない家電が鳴ると、図書館からの催促電話で、時には不機嫌に対応しては申し訳ない思いをさせていた。そんなことももうない。
返却期限の切れた本を延長しに夕涼みがてら図書館に行った。いつものようにもう数ヶ月延長を続けている本になんと予約が入っている。「延長できません」「そこを何とか…」「一旦返却してください。」「それじゃぁ、返却しません。ここにこなかったことに…」にやつきながら「一旦返却してください。それじゃぁここで読んでいってください。」閉館までの短い時間ここで読んでいく事にした。
夜、牟田さんの次の写真展のDMを作る。24時までの入稿を目指したいところだったが、先日なくなった赤塚不二夫の葬儀でタモリが読んだ弔辞が気になってどうしようもなく、ネットに向った。サンケイで全文掲載を見つけ読んでからずっと動揺がつづいている。内野の追悼文集の編集作業でおばさんから寄せられた追悼文をはじめて目にしたとき以来の動揺だった。

「(前略)あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。」

今年のフジの27時間テレビはたいそう面白かったようだ。テレビっ子の僕は中学生のころ血眼で27時間、テレビに食らいついていたことを思い出すが、最近は見ていない。今年もいつ放送だったのかさえ気づかずにいたくらいなのだが、僕の周りの数少ない人間の90%(3人)から面白かったという意見を耳にした。僕らはたけし・さんま・タモリが全盛の輝いていたテレビを見て多くの青春を奪われた。彼らは僕らにとっては親戚のおじさんのような存在で、彼らの言葉が常に僕らの言葉であった。そのおじたちが弔辞を読み上げるくらいの年月がったった、のだ。
何も書かれていない紙をめくりながらサングラスごしに発せられた言葉がふと魂を宿した。大袈裟だが。自分の時間の中にいた人間がいなくなるということに対して言葉をつむいでおかなくてはならないという覚悟があり、それを感じる。不安定な言葉はこの危機感によって、時空を深く刻み込み傷つけるための加速度を持つ。えらく遠まわしだが僕がエンエン泣いたということである。たまらない。DMはなかなかできない。写真の問題かもしれない。

今朝、かみさんにタモリのことを聞いてみたが、反応がない。実は昨日の晩御飯で仕事のこと、写真のことを話そうとしてしくじった。すぐにベクトルが生活費の問題に向いてしまった。そこから冷戦中であったことをすっかり忘れていた。派遣先で隣の同世代のSさんに振ってみたがイマイチのリアクション。何人目かで今日のいいともが気になって録画している人に出会った。Mステのタモさんはちょっとだけかっこよく見えた。サザンの桑田が意識しているように見えた。テレビの見すぎだ。娘に電源を切られた。
今日18切符で実家に帰る。フィルムをあわてて買ってきた。もうそろそろタモリ倶楽部の時間だ。

20080802

話すことの余韻


20080731-_DSC8400
Originally uploaded by hiroomis2008
7歳の息子と久しぶりに話し込んだ。祭りから帰ってきて疲れ果てたチビに週末の気楽さにまかせ長い時間つき合わせてしまった。
今日の職場の納涼祭でいつも話したことがない人たちと飲めないビールの勢いで話し込んだ余韻もあったのだろう。いつも顔だけは見ていたが正社員の服を着たまだウブな髭剃りあとがその青年の印象だった。まだ18歳で高校を出て遠い故郷から単身東京に身をおき日々黙々とモニターに向っている。すべて今日知ったことだ。現在19歳。話し始めると訛りをほんのりと残したその口調は自分を制御しきれない抑揚の崩れかけた、だけども懐かしいような響きだった。
僕より遅く祭りから子供をつれて帰宅したかみさんに若い彼の話をして息子が話しに入ってきた。「高校卒業して働けるの?」僕はどう答えたか覚えていない。その青年の弟は進学するそうだ。息子の中でもそんな意識が刷り込まれているのもこのごろでは当然なのかもしれない。夜更かしのお風呂で眠くてアドレナリンたっぷりの甘えた息子が「大学は私立と公立どっちが高いの?」と聞いてきた。そこからオヤジの長い話が始まってしまった。学校の費用は公立では税金で大半がまかなわれていること。何で学校に行くことが義務とされているのか。自然に息子からその言葉が出るように仕向けた。答えは用意していなかったが、しばらく考えて「人を殺さないようにするためだ。」と答えてみた。あっているのだろうか?いつものどっちつかずの父親の態度と違ってきっぱりと答えてみたせいか息子は合いの手を入れながら随分長い時間話に付き合ってくれた。妹のお菓子を取り上げて兄弟喧嘩が勃発すること、日本が朝鮮を侵略し植民地としていたこと、この同じ時間に爆撃を受けて子どもらが逃げさまよっているような土地がまだあること、アインシュタインのこと、じいさんが生まれる前、アメリカが原爆を落としたこと、原子爆弾のエネルギーが去年見た古田の引退間近の神宮ヤクルト阪神戦を観戦する人々の熱狂を優に包み込んでしまうことを、とりとめもなく。前の仕事で毎年行っていた長崎の原爆資料館にあるファットマンが風呂場に入るほどの大きさであったことを言い、今度連れて行くことを約束した。原爆を落としたアメリカと今では仲間ということになっており、そのアメリカが現在も自国外で戦時体制を維持し、僕たちはその仲間である日本に暮らしているということ。さすがに長くなりすぎて「ごめんね。」と謝った。日焼けして焼け野原の僕の背中を剥いてもらおうとのぼせた彼に頼んだが「気持ちわりぃ」と拒否されて、そそくさと洗って出たら「水曜どうでしょう」が始まっていた。なぜか、写真は残したいと思うから撮るのだなぁと、福田内閣改造の大臣たちのしょぼい顔を映像だけ見ながら思った。