20080830

サマーズとスナップ写真


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Originally uploaded by hiroomis2008
エクセルにはまっている。仕事でそんなに必要もないのに表ばかり作っている。たとえば今週は表の中にある言葉を検索し、文字の色を変えることに一日と半分を費やした。些細なことだ。それがなかなかできない。エクセル風に言うならばブック中のセル内にある特定の文字列を一括して書式を変える、なんて言葉で言わなければならない。セルとは表の、あるひとマスのことをさす。エクセルに標準でついている検索機能ではセルごと書式が変ってしまい、セル内にあるその言葉だけの色を変えることができない。それをVBAと呼ばれるプログラムで考える。僕にはできない。ネットの中には色々親切な人がいて、いろんな便利ツールを作ってくれているのだが、こんな道具を探すことだけに一日かかってしまうのだ。仕組みは表の隅からその言葉を探していき、見つかったところで、その言葉があるセルの中で何文字目にあるのか答えさせ、そのセルの何文字目から何文字目までの文字の色を赤で塗りなさいと命令し、そして対象となる文字がなくなるまでさっきの場所の次の文字から検索を繰り返しなさい、といったものだ。プログラムにはそう書いてあるらしい。もし探している言葉がなかったら…とか、些細なことを想定しておかないとパソコンは止まってしまうらしく、その暗号文の分量たるやたいしたものだ。僕はその呪文をチョイとコピペして自分のエクセルのボタンに貼りこんでやるに過ぎない。それでも目的(なんて明確な!!)を達成して時間が過ぎるのをすっかり忘れている。
サマーズが気になっている。夜に頭だけ疲れて寝付けない体を横にしてだらだらテレビを見ていると、サマーズは現れる。いつも一緒にいるだろうし、何の発見もないであろう相方と30分もずっとテレビの中で話している。些細なことばかりだ。その些細な発見を堂々と吹聴する相方の様をもう一人は喜んでいる。二人の良い関係に、饒舌さに、油ののりを感じる。さっきも都立大学駅周辺をつまらなそうにぶらぶら歩いている二人がテレビに映っていた。時代においてかれたモヤモヤした街をおちょくっりながら二人とテレビ東京のアド街のきれいなおねえさんが散歩しながら時間をつぶすといった番組。毎週見てしまっている。カメラをぶら下げて街をスナップする感覚って…、いつもながらサマーズに考えさせられる。二人にも些細な悪意と愛情がある。最近のダウンタウンのいただけなさはよく耳にするが、靴下に刺繍されたお馬に乗った騎手が動き出し、些細な妄想が終着点を探しながら膨らんでいくかつての二人の会話はもう見られないことを思いつつ、サマーズの二人を見ている。
「三浦和人&関口正夫 スナップショットの時間」展が三鷹市美術ギャラリーでもうすぐ始まる。三浦さんは僕が始めて受けた写真の授業の先生で、そこから写真との付き合いがはじまり、抜け出せないで今までいる。お二人は僕が生まれる前からずっとスナップ写真を撮り続けている。どういうことなのだろう。決して明確ではない、時代に煽られてぶれてしまいそうな目線を持ち続けうる、というのは覚悟なのだろうか。至福なのだろうか。送っていただいたチラシの裏に誰が書いたのか、当たり前でつい忘れてしまいそうな真実がとてもとても丁寧に書かれていた。
「(前略)何が写っているのかはもちろん大切です。しかし、何が写っているのかと何を撮っているのかを簡単に等号で結びつけることはできません。何が写っているのかを通して、その向こう側に何を撮っているのかを、私たちは私たちの経験に即して見ることがきっとできます。すでに撮られた写真は、たとえ自身の撮影したものであっても他者の姿をしています。何十分の一秒、何百分の一秒という時間が作者によってどのように生きられたのか、それを私たち自身の時間として今一度捉え返し、生き直すと言い換えてもよいでしょう。それは決して追体験などではありません。すでに見るものひとりひとりの創造の内にあることです。根源的な出会いの場を求めての想像の時間なのです。」

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