20080802

話すことの余韻


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Originally uploaded by hiroomis2008
7歳の息子と久しぶりに話し込んだ。祭りから帰ってきて疲れ果てたチビに週末の気楽さにまかせ長い時間つき合わせてしまった。
今日の職場の納涼祭でいつも話したことがない人たちと飲めないビールの勢いで話し込んだ余韻もあったのだろう。いつも顔だけは見ていたが正社員の服を着たまだウブな髭剃りあとがその青年の印象だった。まだ18歳で高校を出て遠い故郷から単身東京に身をおき日々黙々とモニターに向っている。すべて今日知ったことだ。現在19歳。話し始めると訛りをほんのりと残したその口調は自分を制御しきれない抑揚の崩れかけた、だけども懐かしいような響きだった。
僕より遅く祭りから子供をつれて帰宅したかみさんに若い彼の話をして息子が話しに入ってきた。「高校卒業して働けるの?」僕はどう答えたか覚えていない。その青年の弟は進学するそうだ。息子の中でもそんな意識が刷り込まれているのもこのごろでは当然なのかもしれない。夜更かしのお風呂で眠くてアドレナリンたっぷりの甘えた息子が「大学は私立と公立どっちが高いの?」と聞いてきた。そこからオヤジの長い話が始まってしまった。学校の費用は公立では税金で大半がまかなわれていること。何で学校に行くことが義務とされているのか。自然に息子からその言葉が出るように仕向けた。答えは用意していなかったが、しばらく考えて「人を殺さないようにするためだ。」と答えてみた。あっているのだろうか?いつものどっちつかずの父親の態度と違ってきっぱりと答えてみたせいか息子は合いの手を入れながら随分長い時間話に付き合ってくれた。妹のお菓子を取り上げて兄弟喧嘩が勃発すること、日本が朝鮮を侵略し植民地としていたこと、この同じ時間に爆撃を受けて子どもらが逃げさまよっているような土地がまだあること、アインシュタインのこと、じいさんが生まれる前、アメリカが原爆を落としたこと、原子爆弾のエネルギーが去年見た古田の引退間近の神宮ヤクルト阪神戦を観戦する人々の熱狂を優に包み込んでしまうことを、とりとめもなく。前の仕事で毎年行っていた長崎の原爆資料館にあるファットマンが風呂場に入るほどの大きさであったことを言い、今度連れて行くことを約束した。原爆を落としたアメリカと今では仲間ということになっており、そのアメリカが現在も自国外で戦時体制を維持し、僕たちはその仲間である日本に暮らしているということ。さすがに長くなりすぎて「ごめんね。」と謝った。日焼けして焼け野原の僕の背中を剥いてもらおうとのぼせた彼に頼んだが「気持ちわりぃ」と拒否されて、そそくさと洗って出たら「水曜どうでしょう」が始まっていた。なぜか、写真は残したいと思うから撮るのだなぁと、福田内閣改造の大臣たちのしょぼい顔を映像だけ見ながら思った。

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