20080809

『これでいいのだ』と。


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Originally uploaded by hiroomis2008
ぼくんとこの図書館は携帯から蔵書検索と予約ができる。区内の図書館の蔵書なら普通に翌日最寄の図書館に本が届いたことを知らせるメールが携帯に送られてくる。今年の4月から始まったこのサービス。気になる本があればその場で予約を入れる。返却催促の連絡も携帯にくるようになった。めったにかかってこない家電が鳴ると、図書館からの催促電話で、時には不機嫌に対応しては申し訳ない思いをさせていた。そんなことももうない。
返却期限の切れた本を延長しに夕涼みがてら図書館に行った。いつものようにもう数ヶ月延長を続けている本になんと予約が入っている。「延長できません」「そこを何とか…」「一旦返却してください。」「それじゃぁ、返却しません。ここにこなかったことに…」にやつきながら「一旦返却してください。それじゃぁここで読んでいってください。」閉館までの短い時間ここで読んでいく事にした。
夜、牟田さんの次の写真展のDMを作る。24時までの入稿を目指したいところだったが、先日なくなった赤塚不二夫の葬儀でタモリが読んだ弔辞が気になってどうしようもなく、ネットに向った。サンケイで全文掲載を見つけ読んでからずっと動揺がつづいている。内野の追悼文集の編集作業でおばさんから寄せられた追悼文をはじめて目にしたとき以来の動揺だった。

「(前略)あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。」

今年のフジの27時間テレビはたいそう面白かったようだ。テレビっ子の僕は中学生のころ血眼で27時間、テレビに食らいついていたことを思い出すが、最近は見ていない。今年もいつ放送だったのかさえ気づかずにいたくらいなのだが、僕の周りの数少ない人間の90%(3人)から面白かったという意見を耳にした。僕らはたけし・さんま・タモリが全盛の輝いていたテレビを見て多くの青春を奪われた。彼らは僕らにとっては親戚のおじさんのような存在で、彼らの言葉が常に僕らの言葉であった。そのおじたちが弔辞を読み上げるくらいの年月がったった、のだ。
何も書かれていない紙をめくりながらサングラスごしに発せられた言葉がふと魂を宿した。大袈裟だが。自分の時間の中にいた人間がいなくなるということに対して言葉をつむいでおかなくてはならないという覚悟があり、それを感じる。不安定な言葉はこの危機感によって、時空を深く刻み込み傷つけるための加速度を持つ。えらく遠まわしだが僕がエンエン泣いたということである。たまらない。DMはなかなかできない。写真の問題かもしれない。

今朝、かみさんにタモリのことを聞いてみたが、反応がない。実は昨日の晩御飯で仕事のこと、写真のことを話そうとしてしくじった。すぐにベクトルが生活費の問題に向いてしまった。そこから冷戦中であったことをすっかり忘れていた。派遣先で隣の同世代のSさんに振ってみたがイマイチのリアクション。何人目かで今日のいいともが気になって録画している人に出会った。Mステのタモさんはちょっとだけかっこよく見えた。サザンの桑田が意識しているように見えた。テレビの見すぎだ。娘に電源を切られた。
今日18切符で実家に帰る。フィルムをあわてて買ってきた。もうそろそろタモリ倶楽部の時間だ。

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