20080715

記憶の自家用車


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Originally uploaded by hiroomis2008
2004年2月に中古で手に入れたデミオを10万キロ乗り潰し廃車にすることにした。廃車業者というものを調べてみるといろいろあって、一斉見積もりサイトを使って合見積を取ってみて少々驚いた。城山解体という会社が業者からのみ1台40000円以上で買取を行っていることをたまたま新聞広告で見かけた。よくラジオのCMで名前を聞く社名だ。見積もりを取ったのはそこに至る中間業者ということになるのだが、最大手ガリバーは買取なんてとんでもないということだった。車持参ならただで引き取ってくれるところ、買取価格は数万円だが数々の手数料を引いたらいくらにもならないところ、様々。買い取り可能というメールでの返事に怪しみながらも一社に電話をしてみると心地よい対応。傷だらけのデミオであることを念を押して15000円の確約、ついでにこの価格で千葉県野田市所在の会社が車引取りにも着てくれるという。野田市と聞いて、ドライブがてら野田清水公園のアスレチックにでも行って不安は残るが車を持参することにした。怪しい会社ならここで断ってくるだろうと踏んだのだが、「儲けがないんですけど」と前置きしつつも5000円アップを提示してくれる。夜遅くに電話してもいつでも電話に快く対応してくれる点で、社員が血眼で働かされているブラック会社を想像しつつの、デミオ最期のドライブとあいなった。
出発前に車の前で家族で記念写真を撮った。カラーネガフィルムをつめたFM2を三脚で立てた。どれも倉庫代わりの車の中に眠っていた機材たちである。ガソリンの高騰からか日曜日だというのに渋滞にひっかかりもせず目的のアスレチックに程なくつき、チビが難なくこなしていく姿と赤くほてった手の皮に自分の体重をおもい知った。散々筋肉を痛めつけたあと約束の時間より早く廃車屋さんへ向かう。
なんとなく見慣れた感じの旧街道沿いにはアンバーめの光の中、祭りのちょうちんがまばらに風もなく下がっている。その店は想像に難く、普通の建売一軒家に派手な看板をつけただけのような慎ましやかなたたずまいであったが、お店の入口らしからぬドアを開けると中には最新のコンピューターが並んでいてしっかりとクーラーの利いた事務所であった。一通りの書面を交わし、車の確認をするわけでもなく20000円の入った袋を手渡された。これでさよならだ。息子はほってた体でうつむいて何故だか目頭が熱くなるのをこらえていたようだ。デミオと共有したいくつかの思い出がよみがえってくるような年齢に彼もなったのだ。確かにいろんなことがあった。
このあいだ、息子とデミオの中で思い出話をしていた。「あれは白い車のときだったよね」という息子の言葉に、車の記憶と共に幼いころの多くの記憶が脳裏にインプットされていることにおもいやった。
白い車とは前職で営業車両として会社より与えられていた中古ポンコツのミラだ。社用車を私用していたわけだが、息子の記憶にはミラが存在がまにあっている。2、3才の頃の記憶だ。
ファミリーアルバムに写り込んだ自家用車は不意にその一枚に時代を繋ぎあわす鍵をあたえる。赤いスズキのアルトと共にまだ隣家とのあいだにコンクリ壁のなかった実家の姿が浮かぶ。それは記録から写真へ、写真から記憶へ変換された赤い車だ。
廃車屋さんで手続きをしてくれたふくよかなお姉さんが野田清水の駅まで僕らを送ってくれた。その車も色違いのデミオだった。助手席から遠くに観覧車がみえる。ジャスコに昔からある観覧車だそうで、古いくせに最近は500円に値上がりまでして誰も乗らないそうだ。今日がこの辺りのお祭りということらしいが、地元でないので良くは知らないとのこと。駅に曲がる道を間違えて随分さきでUターンをして戻ってきて駅に着いた。「また、よろしくお願いします。」だって。駅舎らしい建物すらない東武線の駅で階段で見えなくなるまで見送ってくれた。

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