20080331

20080329入稿

先週の土曜日、新宿山吹町のcomplexという印刷屋さんに追悼+資料集の入稿にいってきました。
2日間、インクジェットで出力したものを読み続けていますと、あれよあれよと、小さな間違いが見つかって悔しいばかりです。4/10に出来上がります。これで、無事ニコンとトーテンポールの展示には間に合いました。
ただいま、ニエプスの寺門氏と、トーテンの下平氏で、内野のデータベースとなるホームページを作成中です。私は素人もいいところですので、お任せしています。
4/10を目指して作成中です。

20080325

「車窓から」北海道バージョンをアップ

「北へ」をピカーサにアップしました。2006年7月から8月にかけて撮影された北海道の車窓からの写真です。
「UCHINO PHOTOGRAPHS」と題された白い表紙の自家製本。
この本には148点の写真が収録されていますが、ここにアップしたのはハードディスクに残されていた「車窓-北海道2」という名前のフォルダに入っていたすべての写真です。
まだ、未確認ですが、このフォルダのほとんどの写真が本に入っていると思われます。

20080322

北海道の未発表作品をアップ

追悼文を寄せていただいた中学校時代のご友人から現在JR北海道で勤務されている同窓生の後藤さんをご紹介いただきました。内野が北海道にいった際には必ずといっていいくらいその方を訪ね、そこを拠点に旅を続けていたようです。船橋の実家にあった白い自家製本の「車窓から」北海道バージョンは200607のおわりごろ後藤さん方をよりどころとして撮影を重ねた一冊であったようです。内野は電車から見える風景の話はするものの実際の写真を見たことがなく、後藤さんに是非見せてくれと切望されたのに驚いたしだいです。北海道のデータを整理している最中に白い本の表紙の.ai
データが出てきました。当初のタイトルは「北へ」でした。(最終的には「uchino photographs」として作られました。)表紙の最終更新日時は20070112です。(HD_F)
追悼資料集に追加で原稿を依頼し、北海道の写真を載せることにいたしました。

ピカーサにアップした写真は後藤さんいわく「200202の冬の北海道に車で撮影に来た」折のものであると思われます。ちなみに右の写真は白い本の1ページ目の写真です。

20080321

うりずんパノラマをアップ

うりずんパノラマ(未発表)をピカーサにアップしました。ほとんどのカットが沖縄と呼べそうな土地で撮影されていますが、まれに本土の匂いを感じさせるものが混ざっています。場所の特定はできません。うりずんの2005ファイルのセレクトからはずされた「もうひとつのうりずん」の中にあるカットと同じシーンがパノラマでも撮影されています。

20080316

080316ミーティング



本日、四谷のルーニーにて内野雅文の会ミーティングを行いました。
決定、確認事項は

  • kmopa応募用のプリントを「アイドル」のシリーズから選定。10点。
大阪ナダール用展示で林氏のセレクトしたものから2点を含みます。その2点に関しては佐原が応募用にデータを探しインクジェット出力を依頼。
京都のシリーズは前回セレクトのニエプス展示のものをすべてスキャニングし、インクジェットで出力したものを全点応募することになりました。スキャニングは福添、出力は未定。追悼文集にも掲載するため取り急ぎ。応募タイトルは展示名と変えて「京都」で落ち着きました。ちなみに「アイドル」はカタカナ表記です。
176展示はニエプスの展示からの移動になると思いますが、ニエプスで使った額やマットを転用できるよう篠原氏に依頼しました。

  • トーテムポールの展示セレクト
下平氏の意見で、壁一列ですっきり見せるために同じサイズのプリントを22点セレクトしました。その中にナダールで使用する(dmで使った)空港の写真があるため、展示後大阪に回す手配をとらなくてはなりません。
  • ニエプスの展示作品の確認
dm製作のため2点の写真がデザイナーの秋山氏の下へいっていると思われます。返却してもらってください。56点現在ニエプスに保管されています。

  • データベースとしてのホームページの作成
本日、中藤氏の代理で参加されたニエプスのHP管理者である、寺門氏に製作を依頼。下平氏と二人で、3月末までに完成予定です。
  • ルーニーの展示セレクト
各壁ごとに1シリーズを配置。「野ざらし紀行」、「空と海への…」は4切で統一。「東京ファイル」はコニカ展示の半切プリントからセレクト。「うりずん」はエクタルアの印画紙で焼かれたもので統一。うりずん以前に「南へ」のタイトルでkmopaに応募されたシリーズからもあわせて、全紙・4切・6切を混ぜて一番大きな壁で壁面構成。
  • 経費について
全体の経費を把握するために、自己申告制で、googleドキュメントに領収書の出ているものにかぎり各自記入。一部金額が張るものに関しては借入金の中から随時返金いたします。基本的には最終決済が終わってからの返却になります。管理は小平から佐原がひきついで行います。
  • お別れ会の流れについて
小平氏から当日想定される事柄をレジュメで提出していただき、全員で再検討しました。これをもとに福添、坂口、川口氏の3人で、当日までに手配と準備をしていただきます。食事、各ギャラリーの店番と当日の受付、会計の人員配置は主に川口氏から造形大学写真部OBのお力を借りて手配。0319の四谷ひろばプレ公開後福添、坂口両氏で、段取りの詳細打ち合わせ。
  • dmについて
ニコンの枚数が足りないので、まずニコンの田中氏に掛け合っていただき、どうしようもなければデータをいただいてこちらで増す刷り。データもだめなら新規に作る。とりあえず先に始まる東京分のみ在庫で発送開始。各自郵送したい場合は福添を通して必要枚数をゲットしてください。送料は計上していただければ経費から落ちます。
  • ヴィジュアルアーツ写真集公募について
「車窓から」の内野氏自家製本2冊で応募します。ニエプスの村上氏に寺門氏から募集関連の諸事務を依頼していただきます。規定に100点以下とあるが、故人であることで了承を得てもらおうと決定。
  • 追悼文について
デザイナーの秋山氏にも協力いただいて進行中です。タイトルを検討しました。
 内野雅文1973-2008
 photo-document
 資料+追悼

という案を石井氏からいただきました。追悼文集では、ない、というニュアンスです。秋山氏のデザインを見ていただいてから皆さんのご意見を伺います。本文の写真をサムネールで掲載する部分と年表部分のレイアウトも秋山氏にお願いしました。追悼本文は資料整理が追いつかない関係上佐原が引き続き製作します。印刷会社は漫画同人誌専門のcomflex(新宿・山吹町印刷のメッカ)です。0315に担当の福田さんと打ち合わせてきました。安く上げるためシルバー版をもちいての印刷ですが、親身に教えていただきました。
加えて年表製作に写真界の部分で大日方氏、内野の学生時代について寺島氏にご協力いただいています。
  • 入稿スケジュール
0323リミットで1校を上げます。pdfでまわしますので、0324深夜までに返信ください。おおきな変更がない限り強行スケジュールなのですが、訂正後0326に仮入稿で見積もりを取ります。問題がなければ追加金が発生せず早割り料金適用で0329本入稿です。ニコンの会期前にあわせた設定ですので、大変なことが起こった場合はお別れ会前に合わせたスケジュールを立て直します。

以上です。

20080314

kmopaの収蔵作品をアップ

kmopaの収蔵作品をアップしました。計38点。現在、清里のkmopaフォトミュージアムで展示されている内野作品のすべてです。kmopaの野崎氏のご好意で[内野雅文の会」に提供していただきました。やはり、写真整理の段階では出てこなかったカットが「ケータイ」の中に見られました。また、1997に「東京ファイル」(学生時代の授業の課題から派生した東京のスナップのシリーズ。コニカで新しい写真家登場の中で1996に発表)を応募してから時間を空けて1999年に「ある町の記憶」の写真を応募している。「ある町…」は1996の卒業制作だから随分と昔の作品を引っ張り出して応募したことになる。
常に一心不乱に写真家人生を突き進んだかに見えがちであるが、1999にコニカで発表した「うりずん」にいたるまでの間の数年間の彼の心の葛藤を汲み取る事ができるのではないでしょうか。
この空白に(34年間の彼の人生の中では大きな時間である)、沖縄に通い、レースクイーン撮影のアシスタントをし、スタジオで脚立から落ちて大怪我をしたのだなあ、と、一呼吸おいて内野の写真を見つめなおしてみなければならないようです。

1997年 購入作品
97-01/05.1997年 購入作品 「東京ファイル」 1995年
97-02/05.1997年 購入作品 「東京ファイル」 1995年
97-03/05.1997年 購入作品 「東京ファイル」 1995年
97-04/05.1997年 購入作品 「東京ファイル」 1995年
97-05/05.1997年 購入作品 「東京ファイル」 1995年

1999年 購入作品
99-01/02.1999年 購入作品 「ある町の記憶」 1995年
99-02/02.1999年 購入作品 「ある町の記憶」 1995年

2000年 購入作品
00-01/04.2000年 購入作品 「うりずん -沖縄先島-」 1998年 
00-02/04.2000年 購入作品 「うりずん -沖縄先島-」 1998年
00-03/04.2000年 購入作品 「うりずん -沖縄先島-」 1998年
00-04/04.2000年 購入作品 「うりずん -沖縄先島-」 1998年

2001年 購入作品
01-01/03.2001年 購入作品 「遍土」 1999年
01-02/03.2001年 購入作品 「遍土」 1999年
01-03/03.2001年 購入作品 「遍土」 1999年

2002年 購入作品
02-01/02.2002年 購入作品 「野ざらし紀行」 2001年
02-02/02.2002年 購入作品 「野ざらし紀行」 2001年

2004年 購入作品
04-01/08.2004年 購入作品 「ケータイ」 1996年
04-02/08.2004年 購入作品 「ケータイ」 2000年
04-03/08.2004年 購入作品 「ケータイ」 1999年
04-04/08.2004年 購入作品 「ケータイ」 2002年
04-05/08.2004年 購入作品 「ケータイ」 1996年
04-06/08.2004年 購入作品 「ケータイ」 1998年
04-07/08.2004年 購入作品 「ケータイ」 1996年
04-08/08.2004年 購入作品 「ケータイ」 1998年

2005年 購入作品
05-01/10.2005年 購入作品 「ケータイ」 2004年
05-02/10.2005年 購入作品 「ケータイ」 1998年
05-03/10.2005年 購入作品 「ケータイ」 2002年
05-04/10.2005年 購入作品 「ケータイ」 2000年
05-05/10.2005年 購入作品 「ケータイ」 1998年
05-06/10.2005年 購入作品 「ケータイ」 2000年
05-07/10.2005年 購入作品 「ケータイ」 2002年
05-08/10.2005年 購入作品 「ケータイ」 2002年
05-09/10.2005年 購入作品 「ケータイ」 1999年
05-10/10.2005年 購入作品 「ケータイ」 2001年

2007年 購入作品
07-01/04.2007年 購入作品 「車窓から」 2005年
07-02/04.2007年 購入作品 「車窓から」 2005年
07-03/04.2007年 購入作品 「車窓から」 2006年
07-04/04.2007年 購入作品 「車窓から」 2006年


収蔵順に並べてあります。また、内野所有kmopa返却作品の中に「ナイトロード」(学生時代の写真部での学祭展示)、「タイトル不明」(ヌード作品)、「南へ」(うりずんの前形)、「オシコク」(空と海への巡礼の前形)があり、応募不採用であったと思われます。四国のお遍路の作品はkmpa収蔵時点では「遍土」とタイトルされてます。「ケータイ」は1996年から撮影しているものを満を持して2004年に応募しています。2005でも「ケータイ」で応募していますが、1998撮の作品も見られます。「カガミノナカ」は応募しているかどうか分かりませんが、収蔵されていません。2005-06撮の車窓シリーズが「車窓から」というタイトルで収蔵されています。

20080307

追悼文集編集開始

080427に四谷の旧小学校を借りてお別れ会を開くのですが、その折に配布する追悼文集の編集に入りました。追悼文は予定の9割がたあつまりました。どのくらいスペースが確保できるか分かりませんが、作品のサムネールとともに、多くの思い出写真を入れ込んでいきたいと考えています。
というわけで写真を募集します。
といってもこのブログはいまだ公に開かれていないので、あまり意味がないのですが、flashによる写真のデータベースのweb公開がまだできずにいるもので、完了後このブログも公開します。
そのまえに、お別れ会が終わってしまうかもしれませんが…。

住所録完成

膨大な住所録になってしまいました。それも内野氏の人望の広さによるものなのでしょう。近日中にドキュメントのほうにアップします。

20080304

写真家の住所録

回顧展に向けてのdm発送作業を1週間後に控えて住所録の整理を行っています。
内野氏自身が整理してある住所録から450人ほど抽出し、各展示ギャラリーの住所と照らし合わせをしていて気づくことがあります。内野氏の住所録には「御中」がないということです。「…担当者様」すらありません。すべてのギャラリー・メーカー・出版社に個人あてでdmを出していたようです。強い意識を感ぜずに入られませんでした。

20080302

不慣れなインタビュー


080229ご自宅でさまざまな打ち合わせとあわせて、ご両親に内野氏の生い立ちをうかがう機会をもうけていただきました。私の準備不足もあり、大変な時間を割いていただきありがたい限りでありました。まずは彼がカメラを初めて手にするくだりや、人との出会いの中で撮影する喜びを見出していく過程をインタビューすることが目的でした。不慣れなインタビューに快くかつ、長時間に及びお付き合いいただき多くの貴重なエピソードを追悼文集に追加することができそうです。自分は内野氏よりわずか1ヶ月遅れて生まれただけのものですから、なんとも、不思議な経験でした。