20081118

煙突の煙のゆくえ


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Originally uploaded by hiroomis2008
久方ぶりに宿題を申し受けた。今度あうときまでに一本の映画を見ておくようにというモノだ。今度あうというのは、毎月1回四谷のギャラリーで開かれている写真展で、また来月、ということだ。
息子が生まれた当時、環境測定という仕事をしていた。もう沢山のことを忘れてしまったが確か環境測定には大きく分けて二つの分野があって、「発生源」ともう一つは文字通り「環境」。僕は発生源の部署に所属していた。「環境」とは発生源から放出される何らかの公害物質による大気や河川などの一次的な汚染を測定する。そんなに体は汚れない。「発生源」はその放出される物質そのものを測定する業務である。つまり、清掃工場の煙突に登ったり、アルミの溶解炉の上でサンプリングをする。体が汚れる、結構しんどい仕事だった。先日、その職場の同窓会と呼ぶにふさわしく、やめた人間から現役のヒラから部長まで集まって当時の思い出話に花が咲いた。7歳の息子が生まれて職を離れたので7、8年前のこと。その頃ちょうどニュースステーションのおかげで環境業界ダイオキシンバブルの真っ最中であった。もちろん僕らのもっぱらの仕事はそのダイオキシンのサンプリングで、全国各地をハイエースキャラバンで巡り巡った。ダイオキシンは塩素が含まれているモノが燃えればどこからでも発生する。人間が燃えてもだ。会社のお得意さんに火葬炉メーカーの大手さんがいて多くの火葬を測定サンプリングした。火葬場の職員さんと共同作業で荼毘にふされるご遺体から、バーナー着火とタイミングをあわせ、焼き上がる時間をおもんぱかり採取する。
当時図書館で見つけた本にその名もそのまま「火葬場」という研究書があった。何気なく借りたものの、研究書らしからぬ序章に心が引かれた。その研究者は火葬を考えるにおいてまず、「小早川家の秋」の1シーンに出てくる火葬場の煙突をつきとめるところから筆を始めていた。
内野雅文の追悼の折々で永井さんとはあうことになった。酒を飲み過ぎるととんでもなくだめな輩になってしまうのだが、その博学とうんちくぶりには「ウザい」を超えて悲しみを覚えるくらいで、語り出したらとまらない。最初は場を読めないマシンガンにうんざりしていたのだが、ここ最近写真展会場で月に一度会うようになって、彼の情熱を許せるようになってきた。どうやら永井さんは写真家らしい。なんだか彼の写真を見てみたい欲がモクモクとわいてきている。夜の渋谷や新宿で、スナップを続けている、らしい。最近はいい年をしてモヤモヤスポットを歩いては昼間にも写真を撮るようになった、らしい。その永井さんが小津の映画を見るように強烈に推してきた。どうも僕は避けていたようだ。ゴダールだって見たことがない。ゴダールやらオヅやらを口にしてわかった物言いをする人たちを避けていた。そんな僕に永井さんは年齢とともにわかることが多くある映画だ、といってオヅを大声で勧めるのである。こどものしつけや教育で悩み、夫婦げんかの末以後家族4人のすべての食事を作る羽目になった君だからこそわかることがある、と豪語する。山に登ったこともないのにヤマケイを読んで八ヶ岳についてのうんちくをたれる永井さんのことだが…。
TSUTAYAの半額クーポンで借りた小津安二郎「小早川家の秋」は4:3でトリミングされていてちょっと悲しかった。

「煙のゆくえ」失われていくものたちへのノスタルジー

『火葬場』浅香勝輔, 八木沢壮一(大明堂/1983)

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