20081123

僕の図書館


20081122-_DSC0301-7
Originally uploaded by hiroomis2008
僕の図書館の喫茶が今度のクリスマスで閉店する。この街に越して以来足繁く通った図書館だ。初めてここへ来たときに図書館で軽食を注文できることに強く心を打たれた。昼時ともなれば館内に焼きそばの香りが充満し、本にとっては決してよい環境であるとはいえないが、そのにおいに誘われて休みのたびにカメラをぶらさげて通った。正午まではモーニングがあり、トースト2枚にゆで卵とコーヒーで300円の優雅な時間を過ごせた。朝寝坊だった僕はよく12:00ぎりぎりに駆け込んだ。ほんとうに狭い狭いキッチンに、ちょうど10年前の当時は二人のおばさんがモクモクと働いていていた。静かな館内に焼きそばを炒める音だけが響く。二人の中がギクシャクしている雰囲気を醸し出している時期もあったり、どちらか一人しかいない時期もあった。そんなときは心が疲れているのではないかと勝手な妄想で心配したりした。生姜焼き定食やハンバーグ定食なんてメニューまでかつてはあった。そのうちおばさんが一人やめて、残ったおばさんが調子が悪い(それも勝手な想像であるが…)ときはよく店が閉まっていた。注文が少ない午前中はいつも狭いキッチンに腰掛けて静かに本を読んでいた。
僕が会社を辞めてふらふらしているときは、家から外に出るきっかけをいつもこの図書館で見つけていた。10年も世間話らしい会話もすることなかったのだ。
カウンターの下に貼られた営業日を記入した小さなカレンダーに店が終わってしまうことがそっと書いてあることに気づいたのはかみさんだった。最近は節約生活で外食することも少なくなっていて、図書館での食事の回数もめっきり減っていた。今日の昼食を久しぶりに子供らを連れて図書館でとることにした。
思い出してみると子供が生まれる前からここでおばさんの絶品うどんを食べ、コーヒーをすすっていた。7歳の息子が生まれたばかりのころ、僕が仕事もせずにカメラをさげてA型ベビーカーを押して何処までも散歩に出かけてく日の朝もここのうどんから始まっていた。うどんであれば哺乳瓶のチビと食事を分けることができた。図書カードを作ってあげてチビが分で本を探すようになっころには、何も言わなくてもプラスチックの味噌汁茶碗が机のうどんの横に置かれていた。何度か息子はガラスのコップを割ったし、夫婦で子供を目の前にここで諍いを起こしたりもした。二人目もここのうどんがお気に入りだ。いつもおばさんがそこにはいたのだなぁと今感じている。天気の話さえもしたことがないというのに、おばさんも年をとったし、僕もすっかりメタボになった。
秋のはじめ、蚊の残党が返却カウンターの白いテーブルの上をヨイコラ飛んでいた。返却しようとカウンターに置いていた本をとっさにつかみ奴めがけて一発食らわしたところ、その本の上に追い打ちをかけるように面と向かって座っていたカウンターのお姉さんの平手が加わった。僕とカウンターのお姉さんの視線はつぶされたであろう奴に覆い被さった本とお姉さんの手の甲を見つめていて、しばしの沈黙でお互い目があった。「あはは~、こんなこと図書館の本でしちゃいけないんですけどねぇ~あはは…ははは」お姉さんは僕のおかげで本で蚊を殺す羽目になってしまったのだが、少し気を揉んで、同僚に聞こえるように結構通る声でつぶやくと僕の顔もつられてにやついてしまった。この地域の図書館は数年前から業務が民間に委託されてからは見慣れない顔が多かったのだけれど、喫茶のおばちゃんだけはずーっと変わらなかった。その日、共犯のお姉さんは老婦人が本を探しに来た際も「ばかのかべは今は貸し出し中ですけど、同じ筆者のチョウばかのかべなら在庫ございますよ!」って、やっぱり通る声で受け答えしていたものだから、婦人は周りを気にしてきょろきょろしていた。
この愛する図書館の最寄りの商店街が昨日深夜テレ東のモヤモヤスポットに選ばれていたことを誰かに言いたくて仕方がなかったのだけれど、朝っぱらからかみさんに言ってみたらリアクションがなくてめげた。さまぁ~ずが引っかかったお店のご主人も「深夜番組だからねぇ~。じいさんばあさんは見ないよ…」って近所の常連に嘆いているのを小耳にはさんだ

「てれびのスキマ」

20081118

煙突の煙のゆくえ


20081114-_DSC0126-18
Originally uploaded by hiroomis2008
久方ぶりに宿題を申し受けた。今度あうときまでに一本の映画を見ておくようにというモノだ。今度あうというのは、毎月1回四谷のギャラリーで開かれている写真展で、また来月、ということだ。
息子が生まれた当時、環境測定という仕事をしていた。もう沢山のことを忘れてしまったが確か環境測定には大きく分けて二つの分野があって、「発生源」ともう一つは文字通り「環境」。僕は発生源の部署に所属していた。「環境」とは発生源から放出される何らかの公害物質による大気や河川などの一次的な汚染を測定する。そんなに体は汚れない。「発生源」はその放出される物質そのものを測定する業務である。つまり、清掃工場の煙突に登ったり、アルミの溶解炉の上でサンプリングをする。体が汚れる、結構しんどい仕事だった。先日、その職場の同窓会と呼ぶにふさわしく、やめた人間から現役のヒラから部長まで集まって当時の思い出話に花が咲いた。7歳の息子が生まれて職を離れたので7、8年前のこと。その頃ちょうどニュースステーションのおかげで環境業界ダイオキシンバブルの真っ最中であった。もちろん僕らのもっぱらの仕事はそのダイオキシンのサンプリングで、全国各地をハイエースキャラバンで巡り巡った。ダイオキシンは塩素が含まれているモノが燃えればどこからでも発生する。人間が燃えてもだ。会社のお得意さんに火葬炉メーカーの大手さんがいて多くの火葬を測定サンプリングした。火葬場の職員さんと共同作業で荼毘にふされるご遺体から、バーナー着火とタイミングをあわせ、焼き上がる時間をおもんぱかり採取する。
当時図書館で見つけた本にその名もそのまま「火葬場」という研究書があった。何気なく借りたものの、研究書らしからぬ序章に心が引かれた。その研究者は火葬を考えるにおいてまず、「小早川家の秋」の1シーンに出てくる火葬場の煙突をつきとめるところから筆を始めていた。
内野雅文の追悼の折々で永井さんとはあうことになった。酒を飲み過ぎるととんでもなくだめな輩になってしまうのだが、その博学とうんちくぶりには「ウザい」を超えて悲しみを覚えるくらいで、語り出したらとまらない。最初は場を読めないマシンガンにうんざりしていたのだが、ここ最近写真展会場で月に一度会うようになって、彼の情熱を許せるようになってきた。どうやら永井さんは写真家らしい。なんだか彼の写真を見てみたい欲がモクモクとわいてきている。夜の渋谷や新宿で、スナップを続けている、らしい。最近はいい年をしてモヤモヤスポットを歩いては昼間にも写真を撮るようになった、らしい。その永井さんが小津の映画を見るように強烈に推してきた。どうも僕は避けていたようだ。ゴダールだって見たことがない。ゴダールやらオヅやらを口にしてわかった物言いをする人たちを避けていた。そんな僕に永井さんは年齢とともにわかることが多くある映画だ、といってオヅを大声で勧めるのである。こどものしつけや教育で悩み、夫婦げんかの末以後家族4人のすべての食事を作る羽目になった君だからこそわかることがある、と豪語する。山に登ったこともないのにヤマケイを読んで八ヶ岳についてのうんちくをたれる永井さんのことだが…。
TSUTAYAの半額クーポンで借りた小津安二郎「小早川家の秋」は4:3でトリミングされていてちょっと悲しかった。

「煙のゆくえ」失われていくものたちへのノスタルジー

『火葬場』浅香勝輔, 八木沢壮一(大明堂/1983)

20081103

さまぁ〜ずとスナップ写真2


20081031-_DSC9803
Originally uploaded by hiroomis2008
写真展を見に谷中に行く。学生の時以来だ。町を少しだけ歩いた。霊園を過ぎるとぞくぞくしたあのときの街の感じが伝わってきた。初めて何も知らずに訪れ感じた雰囲気を残している希な街だ。統一されたレトロ調の木製看板や芸能人の写真を張り巡らせた惣菜屋さんの活気を失わぬよう努力続けている商店街の手本である感じは何処でも変わらない。所詮なじみにはなれずに通り過ぎるなら、おいしくって雑多であればいい。若者やおしゃれな店がその香りをかぎつけて街を変えていくのも、商店街の永続に役立ては文句はない。けれど、例のモヤモヤ感はないのかもしれない。「サマーズ」を「さま~ず」に前の日記で訂正したのだけれど、「さまぁ〜ず」が正式コンビ名のようだ。さまぁ〜ずが歩くにはふさわしくないというだけのこと。そんな町のチョイはずれのガラス工房で中藤毅彦氏の流氷の写真をみた。まず写真が先にあってその写真にあわせて工房のお姉さんがガラスの額を制作したとのこと。写真が小さく寂しかった。粒子の見えない中藤氏の写真は柔らかだった。写真とガラス細工という行為があからさまに違うということを当然のことではあるが強く感じた。
ガレリアQの牟田さんに紹介された南谷洋策さんのDMを現在考えている。現役の医者でありながら写真を発表し、同時にコントラバス奏者として生きている。打ち合わせでは気長に僕ののんびりした写真セレクトにつきあっていただいた。いつも他人の写真を見て気になることはこのカメラを構えた人間がどの立ち位置で、目の前にある世界と対峙しているのかということである。医者であるということとコントラバスを弾く行為も併せて写真を撮るということの一個人の視点になりうるのではないかという南谷さんの心意気に深く感銘している(こんなわかりやすう物言いではないが…)。それでも立ち位置など関係がないと主張する写真には一本の筋を見つけることができるが、立ち位置に心が及んでいない写真には辟易する。
今、机の上にあるポルトガルでのモノクロームのポルトガルである理由を尋ねたらフェルナンド・ペソアという詩人の生きた町をたずねたかったのだそうだ。「微明」というタイトルは老子の言葉から来ている。写真に写り込んだモノとコトと濃淡と南谷さんの照射する言葉から、脳みそのシナプスをつなぐ道を何とか偽装でもいいから作ろうとしている。

老子/微明第三十六
將欲歙之、必固張之。將欲弱之、必固強之。將欲廢之、必固興之。將欲奪之、必固與之。是謂微明。柔弱勝剛強。魚不可脱於淵、國之利器、不可以示人。
【まさにこれを歙(おさ)めんと欲すれば、必ず固(しばら)くこれを張る。まさにこれを弱くせんと欲すれば、必ず固くこれを強くし、まさにこれを廃(はい)せんと欲すれば、必ず固くこれを興(おこ)し、まさにこれを奪わんと欲すれば、必ず固くこれを与う。これを微明(びめい)と謂う。柔弱(じゅうじゃく)は剛強に勝つをしる。魚は、淵(ふち)より脱すべからず。国の利器(りき)は、もって人に示すべからず。】
http://books.google.co.jp/books?id=oHNeeUz6IaIC&pg=PA123&lpg=PA123&dq=%E5%BE%AE%E6%98%8E&source=web&ots=yxLr6ymgUy&sig=qxxUXkgmnUOE6clWtStmdm5g9Bw&hl=ja&sa=X&oi=book_result&resnum=8&ct=result#PPA123,M1
の訳がわかりやすかった。

「不穏の書、断章」フェルナンド・ペソア(澤田直 訳編・思潮社)の解説によると「われわれを震撼させるこの無限の空間の沈黙を、ソレアス(ペソアの異名)は、宇宙の広大さにではなく、日常のごく些細な場面のいたるところに見出すのだが、それを彼は、円環を閉じることを無意識のうちに拒否することで逃れようとし、そのことによって、まさに、〈無限〉そのものをそこに宙づりにしつつ現出させるのだ。」と書かれている。まさに〈モヤモヤ〉ではあるが、僕は正直ペソアに(そして僕自身に)、もっと外へ出ろよ!!若造、っていってやりたい気分になるくらい、彼(ペソア)が解説のいう「円環」を閉じ忘れている気がしてならなかった。

 …ところが、ついうっかりして、行動を起こしてしまうことがある。私の仕事は意志の結果ではなく、意志の弱さの結果なのだ。私が始めるのは、考える力がないためだし、私が終えるのは中断する勇気がないからだ。つまり、この本は私の怯懦(きょうだ=おくびょう)の結果なのだ。…(P136、解説)

図書館で借りたその本には二つの付箋が残っていた。その一つ

62
もしほんとうに賢ければ、ひとは椅子に座ったまま世界の光景をそっくり楽しむことができる。本も読まず、誰とも話さず、自分の五感を使うこともなく。魂が悲しむことさえしなければ。(P39)

手元にある南谷さんの六切りのバライタを眺めながら難問に顔を引きつらせてみるのだが…、そんなことより写真展会場でのコントラバスの演奏を聴けば解決することなのかもしれない。楽しみ。

中藤氏の小さな写真をみた後、都区内フリー切符を購入していたついでに秋葉原に降りた。金曜夜の秋葉原で小さなデモ行進が行われていた。カメラを向けられることを意識したコスプレの彼らを撮ってはみたが何も見えなかった。が、しかし、カメラをナップから出していた弾みでうっかりしてスナップ写真を撮ってみてしまった。内野雅文が夜に徘徊した街の人種とはちがう秋葉原に光源を探した。ちょっと震えた。どうやら僕はスナップ写真を初めて撮ったようだ。スナップ写真について語る言葉など全然持ちあわせていないことが少しだけわかった。