20081023

ヤマユキ


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Originally uploaded by hiroomis2008
山に登る準備をしている。年甲斐もなく誕生日プレゼント(自分へのご褒美)を前借りして登山靴を新調した。派遣先から帰り道である多摩川もすっかり暗がりになってしまったので一昨日から残業を1時間ほどすることにした。靴代の足しになればよい。そのくらいの気持ちであったが、心が揺らいで仕事場の僕のエクセルの予定表に残業代を管理する計算式を組み込んでしまった(たいしたものではないが)。組み込み終わったとたんエクセルがフリーズしたことで、なんとかお金の虫の疼きを押さえ込んだ。けれど自動保存のアドインをずいぶん前に入れておいたことを思い出し、保存されていた計算式のバックアップファイルを探し当ててしまった。些細なことだが心が揺れていた。残業は心も社会もダメにすると憤ったことも仕事を辞めた理由だったような気がする。競争をあおる社会にうんざりしたはずだ。大げさに言えば。
今日、ガレリアQ の牟田さんに「サマーズ」ではなくて「さまーず」であることを注意された。どうでもいいことではあるが心にしみこんだ。靴慣らしのためにいつもならギャラリーのある新宿三丁目には四谷で丸ノ内線に乗り換えるところを永田町で挑戦してみたのだが、乗り換えまで650mの案内にまだ硬い登山靴に覆われたつま先はすっかりめげてしまった。けれど、うれしいDM作成依頼をうけた。
土曜の朝4時にレンタカーで東京を出発して八ヶ岳の硫黄岳を目指す山行き。山行きという言葉の響きは美しい。どうも辞書にはない言葉のようだ。いつ頃から使われているモノなのか知らないが、最近覚えた。
道行き、雲行き、先行き、成り行き、売れ行き、地獄行き
山への厳しい道行きを引っ掛けて作られた造語なのかもしれない。
今回の山行きは学生時代を暗室で一緒にすごした面々に声をかけた(どんよりとした反応であった)。10年強たって、お互いの属している世界について確認しあってみたいという僕の勝手な思いにつきあっていただけるわずかなメンツと久々に連絡を取り合い段取りをしててんやわんやなのだが、心地よく疲れている。学生の時分20穴ファイルにして作った「10年後」という知人を撮影したポートレイト写真の束がこのキーボードの置かれた机の奥にしまってあるはずだ。10年後また写真を撮るつもりでリングファイルにした。今でも携帯に登録されている人間は一人しか思い浮かばない。
硫黄岳には7歳二人と4歳3歳のチビどもも連れて行くことにした。無理はしないが、よい景色の場所で、できれば頂上で集合写真を撮ろうと考えている。

20081011

フリッカーのアドレス変更しました。


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Originally uploaded by hiroomis2008
flickrからこのweblogを更新をしている。最初は英語ばかりで取っつきにくかったが、だんだんいいところが見えてきたので運営する米yahooにお金を払うことにした。年間25ドルくらい。
flickrの名前の由来をネットで探してみたが見つからなかった。派遣先の仕事でよく「フリッカ検出」なる技術系の用語が出てくるものだから調べてみるとモニタなどのちらつきを言うのだそうだ。ある構造を持った機器の中で何らかの原因で局部に過度な負荷がかかり出力部にちらつきなどの弊害として現れることで、その機器の不安定さの兆しとして受け止め、原因を解析するときなんかに使っているみたい。口内炎みたいなもの。スペルが【flicker】であったので、妙に納得した。【flickr】は「写真を共有するコミュニティサイト」らしいが命名が妙に写真の核心を突いている感じがしたこともあって、pro登録した。
ネット上の写真をモニタで見ていく作業というのはフィルムのベタから写真をセレクトしていく感覚と近いが、もっとおおざっぱなものだ。今までの写真を見るという感覚とはかなり違う(写真の見方はそれぞれであるが世の中のほとんどが間違っている、というか知らなくて損をしている)。【flickr】サイトで見つけた何かを感じる写真の細部は拡大表示をすることでしか見ることができない。僕がモニタに近づき目玉を接写レンズにして細部を凝視するというわけにはいかない。僕のアップした写真も幾人かに見ていただいているのだけれど、写真の下に表示されるviewのカウントが多いものは、なるほどなぁーといった感じがする。自分の場合もそうだが、写真の濃淡の幅が広くて心をくすぐる色味のものに反応している。写っているものに対しては風景ならば濃淡が描く構図に、人物ならば表情の豊かさと肌の色に反射神経が反応しているに過ぎない。僕はぱっと飛び込んでくる写真の強さを信じない。写真は写ったモノの表層達が編み上げるプログラムで、小説を1m離して眺めたところで何も浮かび上がってこないのと同じく、そこで見た強さは小説のカバーデザインでしかない。その編み上げられたモノ達の関連は拡大表示によって切り離され写真の存在理由(その写真を選んだという)は宙に浮いていく。それでも僕は【flickr】を選んだわけだが…。

http://www.flickr.com/photos/hiroomis/

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息子の捻挫とシューベルト


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Originally uploaded by hiroomis2008
2年生の息子の学芸会生徒鑑賞日の今日、父親ぶって「今日はどうだった?」と聞いてみたのだが、返事は「かーちゃんに聞いて」であった。それでも問いただし、ちゃんとできたかの問いに「だいたいね」との回答を得た。先週の木曜日、彼は前捻挫をした。携帯に見知らぬ固定電話の着信が残っていたのは学校からの連絡であった。1.5倍はふくらんだ足の息子に問いただしたが捻挫のわけは言わなかった。土曜日にケンケンする息子に付き添って近くの児童館のお祭りへ行った。多くの大人に包帯の足について心配される彼を見て、なかなか顔が広いことを知る。理由は言わなかった。そんな彼を近くで見ていた女の子が「けんかしたんだよ」と我慢できずにつぶやいた。そこからはじめてわけを語り出したのだが、相手が悪いと言うことを主張するのにムキになっている彼を感慨深く眺めていた。
シューベルトの「四つの即興曲」の2番(D935 No.2)。シューベルトがどんなおじさんであるか知らないけれど、佐藤真の映画「OUT OF PLACE」の最後にバレンボイムがピアノで弾いていた曲だ。上映された当時、見に行くことができなかった。佐藤が外国に目を向けていることに疑問を感じていたし、「阿賀に生きる」のような映像をフィルムに収めることができない歯がゆさを映画に見てしまいそうで怖かった、というのがおそらく当時の理由である。
アテネフランセでの回顧上映で「阿賀に生きる」を10年ぶりに見た。前はかみさんと見に行ったらしいのだが、記憶にない。けれど、ずっと引きずっている。10年前僕はこの映画に何を見ていたのか思い出せないほど新鮮で美しい映像だった。そして、やっと「OUT OF PLACE」を見た。美しい映像はなかった。美しい映像を希求する佐藤監督のもがきを見た。美しい映像とは風景である必要もないし、条件を満たした光でもない。写ってしまった映像である。佐藤さんを引きずって10年くらい僕はもう生きてきた。ドキュメンタリーとフィクションの境界の不在を常に主張していた方である。境界があるとするならばドキュメンタリーは写ってしまった美しい映像のためにフィルムをつなぎ合わせることで、フィクションとは美しいセリフのために撮影しフィルムをつなぎ合わせることではないか…と、10年前の昔話をしながら饒舌になってかみさんに言ってみた。
「OUT OF PLACE」はエドワード・サイードの自伝のタイトルからとったもので、邦題が「遠い場所の記憶」。よい響きの言葉だ。直訳すると〈場違い〉。「何で私が遠く離れた国のサイードを…」という問いかけであり、結論でもあるナレーションで始まる「OUT OF PLACE」は今の僕にとって、前日の不摂生もあって多少眠たい。上映後のトークショーで羽仁進氏がこの映画について「論理的思考を映像表現のなかで試みた作」と評し、会ったことのないまま亡くなった佐藤氏に対して「多くの人たちのことを考えている人」だといっていたことに納得した。10年前「阿賀に…」を見たときのように僕には「OUT OF PLACE」はわからないことが多すぎるのだろう。けれども、映画最後のシューベルトのピアノが頭にこびりついている。息子の捻挫で膨張した足の映像とこのピアノの音はこれから10年リンクしていく。