20080920

台風写真


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Originally uploaded by hiroomis2008
台風が近づいている。
僕が多摩川のそばに住みだして以来数年おきに台風によってこの土手は決壊まではしないが大変なことになってしまう。ブランコは流され野球場はかろうじてベンチが残り、昨日までの草の生い茂った緑を上流からのゴミに埋め尽くされてしまう。去年僕が出くわしたのは、前職を辞める前後のあてもなく、今日と同じように台風の上陸に気がそわそわして土砂降りの中カメラを持って土手まで慌てて飛び出していって目にした風景。朝一番のぎりぎり露出が足りるというくらいの時間に目の前の流れは荒れに荒れていた。あっという間に雨は落ち着きだし、そしてはっきりとした視界に上流から人が手を振りながら見たこともない早さで流れてきた。小屋の屋根にたって真っ茶色になって手を振り続けるその人にシャッターを切っていた。55mmのレンズでは遙か彼方のその一枚は写真としてはどうしようもないモノだった。
トーテンポールフォトギャラリーで開催されている諸星由美恵写真展「足裏にのこる記憶」にいく。DMに一目惚れした。心なしかいつものギャラリーより客が多かったような気もする。同じように1枚のはがきに惚れ込んだ人たちなのだろうか。
机を挟んで向こうかわに見える部屋の様子。ピントの合っていないウーロン茶のペットボトルや酒瓶が、邪魔をするのでなく、写真家に受け入れられている感触が心地よい。コトを発見した際に気負いなく、ふっと対象に目を投げかけている。本当はそうであるはずはないが、発見の喜びとそれをえぐり取ろうとする野心との戦いを、どろどろと見せることなく美しい光のカラープリントで仕上げている。すごい。大変そう。
映画作家の佐藤真氏が亡くなって1年が経った。僕が会社を辞め、台風が土手をめちゃくちゃにしたのも1年前。やっとアテネフランセとユーロスペースで「佐藤真監督回顧」が始まった。「阿賀に生きる」を学生の時初めて目にしてずいぶん考えた。訃報を耳にして以来、佐藤さんが最後に撮った映画のチラシにあるサイードという人の顔らしき表情がずっと気になっていて多摩川とは遠く離れた国パレスチナを故郷とする知識人のインタビュー集を読んでみた。なるほど、この人を佐藤さんは映画の中でおってみたわけだ。来週、まだみていない「エドワード・サイード OUT OF PLACE」をみてみることにした。サイードの本の中に出てきたミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』(西永良成訳)という小説の第六部「天使たち」。音楽家であった父親がベートーベンが最後に辿り着いた変奏曲という陳腐なスタイルについて理解したことを、老衰して言葉を失っていくなかでなんとか息子をピアノのある自室に呼びつけ譜面を指し示し、伝えようとする。自傷する語り部のくだり。

「…
 人間は太陽や星々のある宇宙を抱けないことを知っている。だがそれよりも、もう一つの無限、ほんの近くにあって手の届きそうなあの無限を、どうしても取り逃さざるをえないことのほうをずっと耐えがたいと思う。タミナは自分の愛の無限を取り逃し、私は父を取り逃がし、そして各人は自分のなすべきことを取り逃がす。それというのも、人々は完璧を追求しつつ事物の内部に向かうのだが、果てまでいくことがけっしてできないからなのだ。
 外界の無限が逃れ去っても、私たちはそれを自然な状態だとして受け入れる。しかし、もう一つの無限を取り逃がしたとなると、死ぬまで自分を責めることになるのだ。私たちはこれまで星の無限のことを考えていたが、私の父が中に持っていたような無限のほうは少しも気にかけなかった。
 …(略)…ベートーヴェンもまた(ちょうどタミナが知り、私が知っているように)、私たちが愛した存在、あの十六小節とその無限の可能性の内的世界を取り逃してしまうほど耐えがたいものは何もない、ということをとてもよく知っていたのである。」

引用しておきながら理解に苦しむけれど、足裏にのこった記憶が「変奏曲」であって、佐藤真が向かったのが「シェーンベルク」であった。と言いきってみたい感じになったということだけである。所用の帰り、同じ電車で二人きりになってしまった。しゃべる世間話もなく、初対面で緊張して何も聞けなかったことを思い出す。先細りのケミカルウォッシュにちょいとシャツが出ていたおっちゃんはもういません。

20080910

スナップの若造


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Originally uploaded by hiroomis2008
スナップ写真を撮り続けている二人の写真家、三浦和人と関口正夫「スナップショットの時間」展にいく。三浦氏の60年代だと思われる静かな写真から展示は始まった。明確な言葉を持たないまま数枚の写真が1枚の印画紙に焼き込められ一つの額縁の中に収まっている。20代の僕であればそのことに引っかかることなく写真のグラデーションと写り込むもののシュールな関係と対比を体で関知し納得することもできたはずだ。それがもうできないと気づかされると同時にこの写真が20代の三浦氏によって選ばれたのではないという想像が頭を巡る。力をなくしていくことに不安なのは僕だけなのではなくそれを選ぼうとあえいでいるその写真家でもある。そして、新宿駅構内から出口に広がる白い光の中にほとんどシルエットとしてしか認識できない子供を抱きかかえた婦人。鳩が群れて羽ばたき高架のアスファルトの夏の蒸気を通過していく。学生たちの騒ぎの遙か後ろで飄々と人物たちの配置の妙をほくそ笑む一人のカメラマンがいる。写真展入口で引っかかったワインの酔いが写真を見る精度を狂わせたのかもしれない。写真は僕の状況にいやがおうにも反応してしまうし、今の僕にはここにある写真が美しく見えて仕方がない。写真家がこの壁に併置するわずかな一点にそれほどの論理も言葉もいらないのだ。しかしながら、スナップというものは僕を少ない脳みそを抽象の隅っこに追いやってしまう悪い薬だ。あんなに具体的な何かに接しているのに僕の頭は言葉でないものに向かいたい願望でふくれあがる。始末が悪い。たまたま出くわしたその光と事物の配列とコトとモノの意味たちを白と黒のグラデーションの集合として矩形で切り取っていくことに、生きる価値など見いだせやしない。明日の目的でさえも不安だ。本当に時間が過ぎるのが早かったし、レセプションのケーキはおいしかった。
スナップ=瞬間。っていくと今ではどうしようもなく陳腐に感じられるようになってしまったのだけれどもシャッターを切る理由はやっぱり瞬間に潜んでいるのではないか。「時間」のおおよその一点をつまみあげ変換する作業である。野口里佳の空を飛べない鳥を長時間露光のピンホールカメラで捉えた作品を思い浮かべた。図書館のアサヒカメラでインタビューを読んだからだろう。あれはカメラの仕組みとしてあわせ持つ全く別の変換作業だ。ずいぶん前、写真を始めた当初の野口の写真には<瞬間>という仕組みが方法としてとりいれられていた。そして、飛べない鳥を用いてそれを排除してみるといった変換方法にまで辿り着く過程を写真表現として短期間に表してきた。このおじさん二人は不器用にもほどがあるが、40年を費やし散布図のように点で散乱した印画紙上の時間のシミを掬い上げ続けてきたのだ。とんでもない徒労であるし、欲望と戦略だ。関口さんには聞いておきたいことがたくさんありそうで、終わりしな会場端から見つめていた。感づかれてにらみ返されたギョロ目に激しく動揺した。「若造、おまえにわかるかぃ?」