20080530

パソコンの前にいる時間が長すぎる


いつの間にか何を調べるにつけてもまずネットで。10年ほど前、仕事帰りの中華料理屋で、「もうネットがないと生きていけない」と言い切ったO氏に、そん なことになるはずがないと逆に言い切ったことを忘れたわけではない。当時の仕事はまさに調べること自体が仕事のようなもので、100年間の年表を作る編集 部で下働きをしていて、図書室で如何に求めている資料を迅速にゲットするかをゲームのような感覚でやっていた。
ほとんどの情報をネットに頼り切っていることが正しい方向ではないような感覚を持ちつつも、この座ったままで世界とつながっているような重力に逆らえないでいる。それにしてもパソコンの前での在住時間の長さにうん、ざりもしている。
仕事で7時間、自宅で3時間起きている時間の50%でモニターを通して世界と関わったふりをしている。
残りの人生の半分がパソコンの前で終わってしまうことを想像したらとんでもない自分の結末である。情報を得るスピードを上げるために2年くらい前からはて なのRSSリーダーとキーワード、googleアラートなどを利用して抽出感度を自分なりに上げてきたつもりであるが、ネットを伝ってくるデータ量は膨ら むばかりで時間が短縮されない。ことによっては情報欲が四方八方に枝葉を伸ばしていく始末である。
こんなこと必要ないことだったな、と年老いるまで生き続けることができたのなら、つぶやいているのだろう。
だって、雲の垂れ込めた河原の風になびいて5月の美しい葉っぱの裏側を覗かしてくれるそこにある木の名前も知らないし、僕の鼻をむずがゆくさせる5月の花 粉の正体さえ忘れていってしまう。僕の怠惰ではあるが、もうそろそろ見きわめて歩いていかないと時間が足りないのではないかと、最近思うのである。
見きわめることなんかできないとは思うけれど、天邪鬼にならずに、何でもできると自惚れずに、まじめにね。
またパソコンの前に長居している。やばい。

20080527

「父と子」/息子に写真を拒否られる父親

リピートやらダルセーニョやらをあざとく飛ばしピアノの練習を早々と切り上げようとする息子さんに横槍を入れたとたん、彼は金切り声で発狂しだした。別に責めているわけではないのだが、パブロフの犬のようにピアノや宿題や、折り紙やらに苦言すると発狂し、全身で「言わないで!!」と叫ぶ。「言わないで…(わかっているから)」を言い出したらほっておくしかない。いつもより激しく地団太を踏む彼を近くにあったデジカメでパチリとしたら、今度は「消して!!」とわめきだした。あまりの迫力に自分の行為の大人気さを悔やむばかりか申し訳なくなって「消すよ」と苦笑いで息子の前で写真を消した。これでよかったのだろうか。目の前で消すのは前職の写真屋さんのときの癖なのだろう。すべてにおいて悪い判断であった。消すべきであっただろうか。
ヒョンなきっかけで借りてきた水上勉「父と子」を読みながら思った。

20080522

写真展のDM作成とは







写真家の牟田さんよりDMの作成依頼が舞い込んできて、久しぶりの現像は明日以降に持ち越しとなった。牟田氏のDMは2002年の4月から続いている。どういうわけか他人のDMを作らせたらそこそこのものである。つい最近の遅ればせながらの就職活動用に過去のDMをあさってまとめておいたものを眺めてみると、よった勢いでの嘆きではあるが、どうして食うに困ってしまうのか途方にくれてしまう。また飲めないのにニーハオでビールをおごってもらってしまった。これがギャラである。不満はありません。
ニーハオでの打ち合わせで、牟田さんがビールを飲みつつ、僕がキャビネに焼かれた数枚の写真をのんびり眺めてしばしの沈黙のあと、いつものように感想やら世間話を始めるのだ。以前は年上の先輩に向ってプリント再提出も辞さなかったが、最近は写真展間際に持ってくるようになった。持ってくるというのは、つまり、僕の住む町まで写真を持ってきてもらうのだ。あまり都心に出ない僕に合わせてこういうスタイルが定着してしまった。
印刷物があがったときは気持ち良い、の一言に尽きるのであるが、なかなか難儀。写真をどう見せるべきなのかを考える。その写真展がどういうしゃべり方で着てくれた人たちに話しかけると伝わっていきやすいのかを考える。写真家本人は考えづらいことなのかもしれない。自分をプロデュースしちゃう感じではちょっとかっこ悪いので、僕がその難儀を引き受けることにしている。そんな大それたことではないけれど依頼が来なくなったらさびしいね。明日、日々睡魔との戦いである仕事の最中に申し訳ない心で、ゆっくり考えてみる。

20080518

久しぶりの感じ


息子を連れまわして電車にでも乗ってのんびり景色を眺めてみたいのだが、なんせ彼は忙しいらしく、相手にしていただけない。日曜日ともなれば朝6:30からアニメやらヒーローものの男の子番組が8:30まで続きそれが終わると玄関のドアがたたかれ、隣やら、はす向かいやら、児童館の隣のマンションやらの子供らが迎えに来る。ライバルたち。まあ、何とかガチャガチャでつって11:00過ぎに息子を取り戻した。
最初にガチャガチャを買うとすぐ帰りたくなるのがわかっているので、最後まで引っ張るのだ。
隣町の川崎では映画の宣伝で、信じられないくらいの人だかりの中、待つこと30分、出てきた芸能人のおじさんにチビの興味が行くわけでなく、すぐに退散。水谷豊なのに。結局久々の暑さと昨日の運動会の痛みに体が持ちこたえられずに戻ってきてしまったが最後、待ち構えていた近所のライバルたちに彼はまた拉致されていってしまった。
久しぶりに悪夢で夜鳴きする息子を寝かし付けに行ったカミさんのいない間に仕事の若い同僚に借りたDVDをみた。若い彼が数年前に学校でつくったドラマだ。15分ほどの短いもので、ミュージシャンを目指す青年のわずかばかりの音楽に対する情熱へのつまずきを、シンプルな物語で描いた美しい映像であった。正直、職場の彼から想像するに、見てから感想を言わなくてはいけないギクシャク感が怖くて、借りるのをためらったのだが、一旦そっけなくカラ返事で返したDVDを、携帯にメールして週末に持ってきてもらった。僕にDVDを手にして、未熟さとそのわずかな誇りをうれしそうにしゃべる若い彼は撮影を担当していたようだ。美しかったし、主役の青年の表情はかっこよかった。
「MORNING GLORY」というその映像を久しぶりの感覚で見入ってしまった。

20080506

メモ


RSSの折れ線グラフで表示されるuchinoWEBの急激なアクセス数の推移に、こんなことに一喜一憂して生きていかなくてはならない世界にくらしている僕や息子たちの人生に、寂しさみたいなものを感じないではない。
昨日、おとといと写真家のI氏の犬吠近くの別宅で潮干狩りに行ってきた。アサリの酒蒸しの創造物からあふれた唾液を喉元に溜め込んで向ったのだが、あいにくのゴールデンウィーク空模様。幾分気温が上がった大潮の時間に浜へと繰り出した。歩いて5分。植生が毎年変化していくのだという、砂ばかりの土地をわずかに覆った草花の細道を、昨日までの夜露をビーサンの指に受けながら進む。心地よい海風を浴びながら人口の防砂林を抜け海の入口に人たちの気配を感じる。
ハマグリであった。長い棒を海に差して砂にもぐった貝を探し当てる。海と砂浜から水蒸気が立ちこめ気圧の谷の直下、立ち込める暗い雲の覆う海に無数の棒を持った漁師の姿が浮かぶ。迂闊であった。塩水を畏れてカメラを持ってこなかった。久しぶりの感覚。塩の干潮。大きいね。
もう、内野の写真は隅っこに置いて、大げさに言ってみれば自分の目で日本を眺めていかなくてはならないな。内野は大げさに眺めていた。結局、身振りなんて関係ないことだったのだけれど。
メモしておかなければならない。
内野の中学時代の同級生の後藤氏によると、北海道での「車窓から」の撮影旅行の際、フォトビューワがたの携帯用ハードディスクを札幌の駅ロッカーで紛失したそうだ。旅の前半のデータをすべて失ったことに大変落ち込んでいたらしい。あわせて、「北へ」にはそのことがあって不満を感じていたらしい。
不思議なものだ。

20080503

「内野雅文さんお別れの会」無事終了!!


<文体を変えます。>先日080427日曜日に四谷第三小学校跡地の四谷ひろば・多目的ルームで「内野雅文さんお別れの会」を内野雅文の会主催で開催した。やっとここまでたどり着き、当日大きな揉め事も諍いもなく終了したことにホッとして飲めないビールを飲んでしまった。(というか、会の最中に飲んでしまい、使い物にならなくなってしまった。)大学時代の友人に指摘されていたように、大事を終えた焦燥感から抜け殻になってしまうのではないかという危惧は、ものの見事に最近の僕自身に当てはまっている。
ここ数ヶ月、子供を寝かしつけ(というか子供より早く寝てしまうのだが)つつ就寝し、朝、爺さんよりも早く起きて内野の作業をしていた。しかし、お別れの会以降、起きれない。下手をしたら息子より長い時間寝ている日もある。抜け殻だ。
今年は5月だというのに憂鬱になっていない。例年、ウツにまでならないようだがかなり不自然な思考回路の五月病的症状になっていた。去年のゴールデンウィークの三ッ池公園ではたかが風船のことで家族が崩壊の危機に陥った。今年は内野のおかげだろうか、お別れ絵がもう少し早いタイミングだったらわからないが、心地よい抜け殻状態で生きている。
uchinoWEBにお別れ会の写真をアップした。会の川口氏の撮影である。細江さんと高梨さんの話は北野さんがブログで上手に説明している。是非。

uchinomasafumi.comのアクセス


アクセス数は080428をピークに徐々に下がっています。地域ごとのアクセス数を見ますと新宿が一番多いのは理解できるのですが、全国いたるところからアクセスされています。
しかしまあ、こんなことがわかってしまう世の中は生きづらいものですね。