20080419

検索ロボット

www.uchinomasafumi.comがやっとgoogleとyahoo!で検索にひっかるようになりました。いったいどういう仕組みなのでしょうか。まずは、一安心です。トップページに展覧会情報があるわけでもなく、クレームもありましたが、当分この形態で行きます。
「内野…」で検索していますと、いろんな人がブログに取り上げていて、感心するばかりです。大学時代の同期の映画監督が紹介していてくれたりします。
このブログも最初、内野雅文の会のご両親に対する活動報告をかねてはじめたのですが、公開したからにはいつまでも猫をかぶった文体で通すわけにもいかないようです。
続けるなら続けるなりの本当の言葉を模索していかなければ、この辺で閉じたほうが良いのかもしれません。

20080416

内野雅文webサイト公開にあわせ、このブログも一応、公開


20080414にご両親の了解を得まして写真のデータベースとして「内野雅文 1973-2008 Photo-Document │ 資料」を開設いたしました。これにあわせてこのウェブログも公開いたしました。今までのピカーサへのリンクは上記webサイトへリンクを張り替えてあるため、多少つじつまの合わない部分もあるかもしれません。ご了承ください。
「内野雅文 1973-2008 Photo-Document │ 資料」はトーテンポールの下平氏とニエプスの寺門氏に、このブログ上で公開しながら整理したデータを下に製作していただきました。
まだ、現状では重いページが随分あります。追々直していきます。皆さん、リンクを貼ってください。

20080410

追悼文集刷り上りました。

遺作「京都」のシリーズ

遺作となった京都のシリーズです。内野は2007年1月に京都に住まいを移し、精力的に取材を続けていたようです。「野ざらし紀行」が京都へ向う旅の記録であったことの答えとして内野が導き出していた答えを映像の形として残そうとしていたのでしょう。
ピカーサにアップしたものは実家や京都のアパートに点在して残されていた6切プリントの中から内野雅文の会の石井氏を中心にセレクトされたものです。20080423-29ギャラリーニエプス、20080524-0603ギャラリー176ではこの中から展示される予定です。タイトルの「我、上洛スル」は印画紙箱に入っていた本人の手書きの文章のタイトルです。
これとは別に、日本カメラの前田氏の元に掲載を依頼しに持ち込んだプリントが多数あると思われます。日本カメラへは「今日の京」として作品が持ち込まれています。掲載は未定です。
なお、「Photo-Document内野雅文追悼展」のDMに使われた2点の写真はピカーサには含まれていません。

写真集の形でまとめられていた「アイドル」

京都のデスクトップの何度も確認しているフォルダの中に「清里用」というフォルダがあったのですが、写真データが少なかったのでザーッと見ただけで見過ごしていました。イラストレーターで作られている「アイドル」の写真集データを見つけました。写真が埋め込まれていたり、リンクで貼ってあったりと作り方にむらがあるので、本人が作ったのではないかと思われます。20051016から20060301までゆっくりとしたペースで、製作が続けられていたことが更新記録からわかります。撮影期間は特定できませんでした。

20080409

車窓から 北へ(完璧版)をアップ

内野自宅に残されていた自家製本の写真集Masafumi Uchino PHOTOGRAPHS。「車窓から」の北海道バージョンです。撮影は2006年7.8月。
1カットだけダブりの写真がありましたので、点数は表紙含め148点です。
並びは本の順番ですが(ピカーサにアップした時点で並びが変更されてしまいました。直す方法がわかりません)、各所に余白が設けられていますので、本のようなすっきりとした印象が伝わりにくいかと思います。また、本自体の出力はコート系の紙にエプソンの5500だと思われるのですが、その黒のしまりの悪さがこの写真集には不可欠な要素であるのかもしれません。デジカメの元データから抽出したものですから、黒の中のディティールがモニターでは伝わらないようです。
データは大阪にあったHD_Fにありました。「北海道」、「北海道2」というフォルダのなかはさらに「右」「左」というフォルダに分けられていて、興味深く感じました。多少のトリミングと角度修正がされているものもありましたが、アップした写真が補正されたものであるかは確認取れていません。